三連休の三分の二は武道の稽古だった。
今回は、稽古のほかに審査もあり、審査を受けた小学生や大学生はそこそこ緊張の夏だったに違いない。
茶帯を長い年月着けていた大学生は、この日、昇段審査を受けた。合格すると、わが道場での身分は「級」から「段」となり、黒帯を締めることができる。
それまでの彼の努力をみれば、文句なしの昇段。
彼も嬉しかっただろうが、「数年ぶりに息子の道衣姿を見た」という彼の父親も感無量だったに違いない。
晴れ舞台。
審査が終わり、全員一列に並ぶ。
そこで師匠が言葉短めに口を開く。
「昇段して黒帯になるということは、そこでおしまいなのではなく、寺院仏閣でいえば、ようやく山門までたどり着いたにすぎない。これからどれだけ進んでいくことができるのかは、自分次第。」
この師匠の言葉を聞いて、思わずジーン。段をいただいてから十年以上が経った私でさえ、重みのある言葉だ。
本堂は見えてきただろうか?
以前、昇段するとすぐに、稽古に来なくなった人がいた。
彼の目標は「黒帯をゲットすること」…ここまでだった。
「俺は黒帯を持っている」
でも、
「君は黒帯ではない」
たとえば、「比叡山延暦寺に行って、山門だけを見てきました」というのと同じである。
「道場だけが武道と思うな」
黒帯になると、意識の中に責任が伴う。
己には負けられない、と思う。
その精神は、道場を離れても、その人の人間性として現れてくるのだ。
今回審査を受けた小学生たち。昇級した人、飛び級した人、受からなかった人…こんなに差が出たのは初めてだったが、師匠は彼らに話した。
「勝ち負けで人と比べない。勝負する相手は自分だ。」
おっしゃる通り。
比べていいのは、「過去」と「自分」か…。
黒帯になることは簡単である。
黒帯でいることは、難しい。
…継続は力なり。
ラベル:武道
【関連する記事】

